カテゴリー「礼節学び心創る」の記事

2009年1月24日 (土)

JKFan記事

 今月のJKFanの本に・・・

 岡山県津山市にある糸東会拳心館「近藤道場」が掲載されていました。

 近藤道場は東大阪清水道場からの分家となっています。
 で、その清水道場は拳心館本部からの分家となります。

 わかりやすくいえば・・・拳心館の支部(親子や師弟関係的)という形ではなく、拳心館の兄弟関係的な立場の道場です。(わかりやすくなってないかなぁ。。。)


 記事の内容ですが・・・

 「クツをそろえる」、「あいさつをする」、「大きな声で返事をする」をモットーに指導をされているそうです。

 そして、ユニークな点は一般の部に通う大人たちのほとんどが、親子で通うお父さんお母さんたちという親子空手の実践者たちだそうです。


 近藤先輩の道場はどこで聞いても、また実際にどこでみても、礼儀正しくて、大きなあいさつや返事をするということで有名です。

 ホンマ、何のためらいもなく即座に大きな声であいさつや返事ができています!常に謙虚という心を持ってるうえに頭の回転が速いンやろなぁ。

 言葉遣いに関してもしっかりしているように思います。この部分は・・・思います・・・にします。
 これはどこの道場生もそうだと思いますが・・・今の子は各個人への携帯電話の普及で、大人を介して電話をすることがありません。
 お互いの親が知らない間に直接話をしたい友人に電話ができ会話ができます。
 なので、正しい言葉遣いで自分を名乗ることもなければ、大人と敬語で話す機会が非常に少ない時代になっています。
 昔は道場生たちが友達口調で話しかけてくると、「オレはお前の友達かッ!?」ッてよく叱ったものですが・・・

 しかし、その他の部分で近藤先輩の道場生を見ると、、、私の指導力不足をいつも、、、いつも、、、いつも、、、痛感させられます。。。

 あそこまで指導できているのは・・・また指導され行動に移している姿は・・・素晴らしいです!

 私は、、、そこまで言わなくてもうちの道場生は自然にできるやろなぁッて、、、思っているのが・・・甘いところなのでしょう・・・
 だって、、、私は幼い頃からそうやって育ってきたし、出来てきたので・・・
 ただ、人のクツをそろえるとか、人のものにも気を配るっていうのは、中学生後半から高校生時代に接した大学生の先輩方の姿を見てからですが。。。
 そして学生の頃から今まで当たり前のようにしてきたので。。。

 毎年、太子町の大会に近藤道場も出場していますが、トイレのスリッパをいつもきれいに並べてくれています。自分が使ったわけじゃないのに、スリッパが乱れるとサッと並べに行っている光景をよく目にします。指導されたことを実践している近藤イズムは素晴らしいです!

 ぜひ、うちの道場生も他の道場の礼儀作法で良い部分は見習ってください!

 ただし、試合後の礼をした後、握手をしにいくって行為は強制しません。
 確かに全中選抜のように勝っても負けても試合後は握手をしなさいッていう決まりがある大会もありますが、私自身は無理に手を合わせにいく必要はないと思っています。
 握手をしようとする気持ちで・・・手が自然と出るならよし、出ないならあるいは出したくないならそれもよしです!


 親子空手については、今は確かにブームですよねぇ。

 現在の保護者は、子供の送り迎えだけではなく、どこの道場も子供がおこなっている練習を終始見学しているところがほとんどだそうです。

 で、ただ単に観て待ってるだけではつまらないみたいで、時間を有効に使うために、また子供と共通の話ができるようにと一緒に練習を始める方が急増しているみたいです。

 そして、、、子供よりハマってしまうみたいです。。。

 『未来の巨匠を目指して』・・・そして子供に・・・『巨匠と呼ばれるその日まで』・・・子供へ・・・『いただきました!星三つッ!』と叫べるように・・・
 (ごめんなさい…ヘンな締めで↓)


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2008年10月21日 (火)

二十訓

 負けてたまるか・・・

 空手道二十訓・・・その8・・・

 道場のみの空手と思ふな

 人生そのものが修行の道であると心掛ける。そして、組手・形がいくら上達してもそれが社会に活かさなければ何の空手道か。

 普段の生活において少しでも空手道を心から離すことなかれ。という解釈でいいのでしょう。

 

 とある先生のブログに・・・

 『出来るのにやらないヤツは教えようがない。出来ないとやらないでは大違い。
 指導者の前では素直ないい子であっても子供たちだけのところでは何をやっているのかわからない選手では全くのニセモノ。
 ホンモノになりなさい。ホンモノの強さを身につけなさい。』

 ッていうことが書いてありました。。。

 

 二十訓においても、とある先生のブログにおいても、『心』のあり方が大事なんですよね。

 うちの道場名にも『心』が使われています。

 何においても『心』をみて、『心』で判断をしないといけないですね。そして大切なのも『心』なんですよね。

 

 今の私・・・自分の『心』を修正中です。。。

 まだまだ時間がかかるかなぁ・・・でも・・・『負けてたまるか!』

 

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2008年9月10日 (水)

鞭(むち)を打つ

 思い入れと思い至る・・・

 「思い入れ」は、指導者が思っていること。
 「思い至る」は、道場生に思ってほしいこと。

 指導者である自分の思いを、道場生である君たちにわかってほしいので書きます。
 この思い入れは、道場生に成長してもらいたいから書くのです。
 そして、みんなが思い至ってほしい。

 小学生にわかりやすくいうと、「オレの考えていることをみんなにわかってほしい。そして、みんなもオレと同じ考えで納得してほしい。」ってことを書きますよ。
 (ただし、小学生には難しい表現なのでわからないと思います。保護者の方、お力添えをお願いします。中学・高校生ならわかるでしょう。)

 ただ、人間はいろんな考え方の人がいるので、納得できない人もいるかもしれへん。
 でも、今から書くことは思い至り、同調出来ることやと思ってる。


 練習中、ヘラヘラ・チャラチャラしてなくても、ダラダラ・ノンビリした行動・動作をしてたら怒られても仕方がないよ。
 まして、週末に試合を控えてるならなおさら、ピリピリした雰囲気を出していないとアカンと思う。これが意気込みであって、心意気やと思う。
 他の人がどうしてようが、気持ち的な部分では自分は自分の雰囲気を出して練習に取組まなアカンと思う。

 他のみんなとは試合の日がずれてるけど、ダラダラ・ノンビリした行動・動作はしてないって反論があるかもしれん。
 けれど、指導者にあるいはその怒られた本人以外に、一生懸命さが伝わらんかったってことなんよね。そこまでの意気込む雰囲気が出てないってことなんよ。

 個人で練習をする場合は、そんな雰囲気を出さんでも自己満足で練習をしてたらいいと思う。
 でも、指導者をつけて練習をする場にいるなら、その雰囲気は非常に大事やと思う。なぜなら、指導者の要不要と士気に関わることやから。指導者が必要ないなら道場に来る必要はないんよね。家で練習をしてたらいいねん。

 要は、そういう意気込み・心意気を持った行動・動作をしているかどうかの判断や評価は、その本人がするんじゃなくて他人がするってことなんよ。なぜなら、そういう意気込み・心意気があったら、自然と行動や動作に現れるんよ。
 このことはこれから先の人生、自分自身を表現するにも必要なことやで。

 ただし、良いことで人に認めてもらわないとアカン。今の世の中、この考え方を持つ人間が少なくて、悪いことをして人に認めてもらおうとするから自分勝手な行動をとって他傷する事件が発生してんねやと思う。

 少し話がそれたけど。。。話を戻して。。。

 自分は一生懸命にやってんのにって、理不尽(道理にあわないこと)に思えるやろうけど、人の判断やからここは我慢して素直に反省をしてほしいところです。
 でないと、結果として「良いモノ」が跳ね返ってけーへんよ。
 良いことで意気込んだ雰囲気を出してるよなぁって認めてもらえるからこそ、良いモノが跳ね返ってくんねんよ。

 それが何になるかはわからん・・・成績なのか、自分自身に対する評価なのか・・・

 それに付け加え、指導者の思いをさらに書くと・・・

 どんなに厳しくてつらい練習であっても指導者に叩かれ叱咤激励されながらもその練習で泣く方が、試合で負けて泣くよりは断然良いと思ってる。
 これは、選手側のみんなも是非そう思ってほしいことやねん。
 負けって、結構心が痛むもんなぁ・・・

 これが、愛のムチです。理不尽なときもあるかもしれんけど、それも愛のムチです。

 叩いてお互いを知ることも絶対に必要やと思ってる。道場生が面と向かってオレを叩くことはでけへんけど、腹が立つなら悔しく思うなら、技の中で叩いてくればいいねん。技じゃなかったら叩き返すかもしれんけど…。

 こうやってオレが手厳しく感情的になるのも、指導者としてのオレと選手としての君たち、お互いが成長していきたいからです。

 いろいろと道場生のことを書いてるけど、オレ自身も性格も人間的にも完璧ではありません。自分自身を表現するのが下手です。酒に呑まれてしまいます。楽なことを選択することもあります。気が抜けてヘラヘラになるときもあります。何も行動をしなくていい睡眠が一番好きです。間違った判断をすることもあります。

 だから、空手道を通じて道場生とともに成長していきたいって思っています。指導することによって学ぶことが多いにあり、自分を律することが出来るからです。

 手厳しさがなく、なれ合いの指導・練習では得るモノはないし、人間としての成長はないし、その他ないものづくしです。お互いに。

 月並で平凡な言葉やけど、『お互いに頑張ろッ!』


 話ははるかかなたに飛びますが、私に跳ね返ってくる言葉です・・・
 (悪いことをしたつもりはありませんが、これは悪いモノです…)

 『四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。』

 こんな格言を見つけてしまいました・・・
 約15年、一人暮らしで培った習慣は変えられへんの・・・
 柔軟剤がどうのこうの言ってるようじゃ、そんな感じがします・・・
 孤独死は覚悟しています。でも、風呂や便所は嫌です・・・

 こんな話はどうでもいいです・・・
 では、また明日・・・


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2008年7月15日 (火)

妬む

 妬むこと・・・downwardright

 道場生のsign01成長や活力となるブログなのに、昨日の内容の最後に嫌なことを書きました。が、この際なので、道場の繁栄という意味で少し掘り下げた内容を書くことにしました。しかし、この内容はこれで最後にしたいです・・・

 『妬(ねた)む』・・・他人の幸福や長所がうらやましくて、憎らしいと思うこと。の意。

 このような感情を抱くと、妬む対象となる人物をおとしめたい、精神的に傷つけたい、そして不幸を願うようになります。

 確かに人間には嫉妬心は絶対にあります。人が我が子より、また自分より良い成績を獲れば敗北感を味わい、複雑な気持ちになり素直に喜ぶことが出来ないことがあります。その妬む心を簡単には捨てることが出来ません。

 しかし、表面上だけでも、喜ぶ人と同じように喜び、泣く人と同じように悲しめば、あなた自身の信頼を得られ、良い人に巡り合うことになると思います。そしてそういう巡り合わせにより心底から妬む心がなくなれば、成績も人間的にも我が子が、また自分が成長し伸びていくこととなります。
 間違いなく、良くも悪くも類は友を呼びます。人をさげすむ類をもって集まるグループに膜が覆われるのは当然ですよね。

 妬む心には、傲慢でうぬぼれが混じっています。なぜ、我が子ではなく、また自分ではなくという我が子の方が、また自分の方が優れているとの思いの現れです。

 これを妬みではなく、我が子を、また自分を高めるエネルギーに変えてください。妬む気持ちを表に出さず、心のバネにして我が子の前進に、また自分の前進に変換してください。

 結論は、謙虚になってくださいsign03ってことです。
 『謙虚』・・・自分の地位・能力におごることなく、素直な態度で人に接するさま。の意。

 そして、冷静に思い起こしてください。

 試合に負けたときに審判のせいにする、練習を含め他人の様々な良い環境をうらやむ、このような時、我が子は、また自分自身は伸びていないし、勝てない時期が続いてますよね。
 なぜなら、知らず知らずに他人のせい(審判のせい、良い環境の人のせい)にして、我が子の、また自分の逃げ道を作ってるからです。我が子はどこかで親同士の話を聞いていますよ。その話が、他人をさげすむ内容であれば、子供もそう思って行動しますよ。
 そして、親子の変な絆は強まっても、指導者を含め他の人との信頼関係は当然なくなっていきますよね。運も逃げていくような気がします。指導者が同じ内容を愚痴っても性質が違い、捕らえ方も違いますからね。
 試合に関していえば、確かに審判の内容が悪い大会もありますが、そんなしょっちゅう続いていません。試合に負けるのは、指導者の力不足にほかなりません。

 しかし、反対に何事も謙虚に受け止め、謙虚に対応している人は、試合に負けても内容があり、前に壁がそびえ立とうが歩幅はかなり狭くても着実に壁を乗り越え、確実に前進していますよ。こういう人をさげすまず、見習ってください。まだまだやり直しはききますよ。

 話がそれるかもしれませんが、道場の掃除に関することです。
 これを書くとみんなこぞって掃除をしようとするかもしれませんが、それを望んでるんじゃないので勘違いをしないでください。自分の家に例えてもらったらいいです。
 道場はマットの上だけが道場ではありません。マット上のゴミを側の板間に排除したり、置く人もいます。マットの上だけのゴミを拾いきれいにしても全体がきれくなるわけではありません。
 また、汗を鏡に飛ばしたまま平気な人もいますよね。前も書きました、汚れるのは当然です、汚れたら拭きましょうって書きましたよね。自分の姿勢と気持ちを律してくれる鏡を曇らすと、自身の姿勢がゆがんで観えて良くなりませんよ。更衣室・トイレにしても一緒です。すべてを含めて自分を鍛え、成長させてくれる道場です。
 すべての場所のゴミを取り除いてこそ全体がきれくなるのです。一場面だけを捉えず、その先も視野に入れて広く観てください。その時だけ良ければの考えはなくすべきです。
 そして、自分が練習をする場所、板間・じゅうたん・更衣室等使用するところすべてを掃除してみてください。
 感謝の気持ちで謙虚になってみてください。何かが得られますよ。何かが現れてきますよ。

 最後に・・・

 嫌なことを書きましたが、今一度、注意喚起していただきたいと思います。まだまだやり直しはききます。そしてこの話はこれで終わらせてください・・・

Dscf0002_2
↑道場に掲げている修行感のひとつです

 大学を卒業する時に、清水監督から同期一同へ社会人になってからの心構えとして、いただいたことばがあります。ひとつは、『大商大空手道部で培った精神』、もうひとつは、『男なら、男妬むな男になれ!』です。

 今日も練習、頑張りますッ。頑張りましょうupwardright

 

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2008年5月16日 (金)

気持ちの切り替え

 反省を・・・

 何事においても指摘を受けたところ、修正をしやなアカンところ、自分で気がついて、自分で心からアカンなぁッて反省をしたなら、いつまでもクヨクヨ、イジイジする必要はない。

 次、同じことをしやんように行動をすればいいだけやねんから。

 今日の反省を、今日学んだことを、明日に活かせばいいねん。それが前進して、進歩するってことやと思う。成長し伸びる人間は、この気持ちを持ち、必ず実行に移す者やとオレは確信してる。

 前進したいなら、成長したいなら、「あの時ああしていれば…」ってくやむより、またその言葉を発するより、「次はこうしよう!」と言い、実行することsign01

 気持ちの切り替えをsign03

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2008年5月14日 (水)

空手道指導理念vol.2

 一昨日の内容に追記します・・・

 人に「させられている」と思うから辛かったりみじめに思うのであって、自分から「やってみよう」と思うと、気持ちが楽になるし、真剣になるし、自分の実になっていくんよ。自分からやってる者は、気持ちや態度に現れてるので見てたらすぐに分かるよ。そうゆー子には言い方や怒り方も違うし、アドバイスの仕方も違ってくるのは当たり前やねんで。とにかく、何も考えてなくて時間を流すだけではアカン。その時間を大切にしやなッ。

 『時間ほど浪費しやすいものはなく、時間ほど貴重なものはない。時間がなければ私たちはこの世の中で何も出来ないのだから。』ッて格言があるように。

 また、『努力が必ず報われるとは限らない。しかし、成功した者は必ず努力している。成功が努力より先に来るのは辞書の中だけである(サ行とタ行の関係)。常に目的を失わず努力を続ける限り、最後には必ず何かで報われる。』ッていう格言のように、練習時間のときは全身全霊を傾けて頑張ろうよ。出来れば練習以外の日にも自分で練習時間を作って努力をしやんとねッ。

 練習中怒鳴ったりするけど、決して君等が嫌いで怒ってるんじゃないねんで。一昨日書いたように・・・

 『オレは、道場生が輝いた花実(はなみ)を咲かすことが出来る肥えた土壌でありたい!』からこそ怒鳴ったり、手足を出して怒ったりする訳で、叩いてお互いを知ることだって絶対に必要やと思てる。また、せっかくしんどい練習をしてんねんから、試合で結果が残せるように、道場生にしんどい思いだけで終わってほしくないし、終わらせたくないっていう気持ちも持ってる。それに、どんなに厳しくて辛い練習でも、負けて泣くよりはいいでしょ、勝って泣きたいでしょっていう気持ちもある。だから、オレ自身が指導者としての正しい知識等を豊富に持ち、それを道場生に吸収してもらって、道場生が成長し輝いた花実を咲かせてほしいと思ってる。決して自分が肥えたいんじゃないよ。

 学生時代の話になるけど・・・『毎日練習しても、しんどいと思っても、人生何十年のうちのたった4年間やないか。4年間ぐらい人より苦労しろ。遊びたかったら引退してから何ぼでも遊んだらいいねん。』って言われてきました。確かに、引退してから遊んだらいいねんけど、やっぱりその年代の遊びとゆーものがあって、その時にしか味わえんこともあるし、引退してからはすぐに就職やんて思ったこともありました。

 でも卒業してからは、クラブ学生の4年間もその時にしか出来んことやし、ましてその4年間に流した汗や感動の涙は、決して二度と経験出来るものではなく、さらに何事においても厳しくて辛かった4年間で培った精神は一生ものやし、青春そのものであったと思ってます。もちろん流したのは、汗や涙だけやなかったから二度と同じことはしたくないし、出来んけどねッ。だから青春なんやろなぁ・・・。

 実は毎年成人式の日は、大学行事の寒稽古・新年会があって、自分は成人式に出席してません(今の二回生は成人式優先です)。当時は、地元に帰って友人とも逢ってみたかったし、一生に一度の式に出たくて仕方がなかったのですが、卒業後地元の友人数人に成人式のことを聞いても、あんまり思い出になってないってほとんどの人が言ってました。まぁ、あれはあれで楽しかってん程度です。もちろん人によって違うけどね。(寒稽古・新年会の後、先輩方に成人の日を祝っていただきまして…押忍、先輩ごっつあんです。)

 大学で空手をせずに一般学生と同じように遊んでいても、以前書いたように『享楽的な(快楽の追求を第一に考える)喜び、刹那的な(瞬間的)楽しみは、その場は楽しくても後で空しさが残り、自分の人生に活かせるためのものがない。』ってことになってたんやと思う。実際、卒業してから人並みに遊べたと思ってるけど、たいした思い出はないし、今までや今の道場生たちが試合で頑張ってる姿しか頭に残ってないねんなぁ。厳しい大学で空手道をやってなかったら、またケツを割ってたら今の自分はないし、道場生とも出逢えてないし、やっぱり厳しいところで4年間頑張ってきてよかったと思ってる。

 なお、学生時代の話は自分が感じたことで、決して道場生に大商大で空手をしてほしいって強要してるんじゃないよ。こういう人生もあるってことを知ってくれたらいいよ。もちろん、みんなにも経験してもらいたいほど充実はしてたけどねッ。諸先輩方に、たっぷりとご指導ご鞭撻をいただき、いい社会勉強もさせていただきました。

 さて、まとめやねんけど・・・

 好きでも、いやでも、気持ちが乗らなくても、その時間はやってくんねん・・・

 空手に関して…せっかく空手の道を学んでんねんから、自分から意欲的に取り組んで、モチベーションを高めていってほしい。今現在モチベーションを高く持ってる道場生は、どんな状況でも絶対に今の状態から下げてほしくない!これはホンマにお願いしたい!高く掲げた志のレベルを下げると、空手の道が楽しくなくなって他へそれていくねん。

 時間は有って、無いようのもの…要は、空手を含めて、空手に限らず、みんな同様に与えられた時間をどう使うか…その時々を大切にして、決められた時間を決められたものとせずに、人生に活かすための使い方をしようよッてことが言いたかったのよ。

 【モチベーション(動機付け)…心。生活体を行動へ駆り立て、目標へ向かわせるような内的過程。行動の原因となる生活体内部の動因と、その目標となる外部の誘因がもととなる。】

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2008年5月10日 (土)

信頼関係

 まず、練習について・・・dash

 県糸東会の大会まであと一週間になりました。

 今日の練習で言ったように、打ち込みをしてるとき、もっと試合中を想定しやなアカン。前で台になってる人は足元を固められた電信柱じゃないねんで。また、一定のリズムでブラブラ動くサンドバックじゃないねんで。攻撃側の人はもちろん、台の人も軽くでいいから試合を想定した動きをしやんと練習の意味がまったくなくなるよ。ただ単に、用意ドンで前に動く運動をしてるんじゃないねんからなッ。試合中に相手が足を止めて待ってくれてるか?一定のリズムで待ってくれてるか?…そんなヤツいてないやろッ。

 んで、今日のタイトルについて・・・impact

 今日、久しぶりに翔貴が顔を出して来た。空手の動きについては単純そのもの。それは仕方がないねん、受験期間を含めて道場に来てないねんから。また練習を積んでいけばいいことやし。

 ただ、これからもこの道場所属でお願いしますッて言うて帰ったからには、ちょっと古い言い方かもしれんけど、「ホウレンソウ」をしっかりしてもらわんとアカン!これは道場生みんなに言えることやねんで。要は、オレにちゃんと「報告・連絡・相談」をして信頼関係・絆をきちんと築いてもらわんと道場自体の雰囲気が悪くなる。し、指導も上手いこといかんし、戦績も伸びやん。

 特に、高校や大学に入って空手道部に所属した場合、道場以外の空手道をすることになんねんけど、道場所属が一番の母体なわけで、この道場が始まりなわけでしょ。

 うちの大学でも昔からオフになったら、必ず道場に顔を出しなさい。高校から始めた者には高校に顔を出してきなさいッて言われます。もちろん、道場と高校があるなら両方やねんけど。要は、原点起点を大事にしなさいッて言われてきました。

 ということは、空手に関して何事においても、相談をして、ことがあるなら連絡をして、そのことについて報告をしてッていうことが当たり前(もちろん反対に物事の報告をして、連絡をして、それについてそれ以外のことでも相談をするッてこともあるよ)で・・・

 君らから観て、道場に先生と認める人が居るならば、最低限、自分が出場する大会については連絡や相談に来て、試合日程等がわかればその時点で連絡をして、試合の結果を報告や結果からこれからの相談をしてっていうことをするのが、筋道であって、道なんよ。だからこの道場が行ってることは空手やなしに、「空手道」やねんよ!

 例えば、オレが全然知らんところで道場生が試合に出場してて、その大会を観に行ってた第三者が、オレに「この間、△△の大会で、先生とこの○○選手が出てましたね、結果はどうでした?」なんて聞かれても、オレがその試合について○○から連絡を受けてないねんから答えることが出来んよなぁ…そうなると、この第三者サンは、オレのことを道場生から信頼がない人やなぁッて腹ん中で笑ってるやろうし、○○についても先生に報告や連絡をしぃーひん出来の悪いヤツやなぁッて思われんのよッ!こんな嫌なことはないやろッ!

 オレが大会があるのを知ってても、出場するなら必ず連絡はするべきやねんけどね!

 もちろん、試合については例えばであって、その他ことあれば報告すべきやねんよ!

 そうすることによって道場生も人間として成長していくし、道場も発展していくしねッsign03 ということで、みんないい信頼関係を築いていこやッsign03 

 「報告・連絡・相談」は社会人になっても言われるよ。

 あと、翔貴、体をつき合わす競技をしてんねんから手足の爪はしっかりいつも短く切っておくべきや。常識として。何で切ってやんとアカンかはもう分かてるはずや。

 由記、大丈夫で良かったッ。また、マッサージの仕方をご教示ください。

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2008年4月24日 (木)

『礼』

 今日は礼(法)について書きます…

 まず、礼について…

現在、古来より伝承された「武道空手」が、「スポーツ化した空手道」いわゆる競技として進化を遂げ、競技化により空手道を志す人が増えています。本来、空手道は武道であり心身の鍛練に役立ち、人間形成という目標があります。なぜ、空手道は武道かというと、日本空手協会の中達也師範(拓殖大学OB、この人の組手に憧れていました。前蹴りが凄い!)がある対談のなかで、「空手は武道である。武道はスポーツを兼ねる事ができるが、スポーツは武道を兼ねる事ができない。その中身は心である。近代スポーツは、ゲームとして楽しむため時間内にどれだけ得点を重ね勝利したかという結果にこだわる。しかし武道は、技にこだわり内容や質に価値観を置く。」とゆーてはりました。だから、空手道は「心・技・體」の鍛練において人格を形成するものであり、ただ単に「技・體」が優れていても、「心」が欠けている人間では失格だといわれるのでしょう。その心のひとつに「礼」があるといわれます。

 礼とは、単なる挨拶やお辞儀ではなく心を形に現していて、自分の身に置き換えて相手を思いやる感覚、痛みを分かち合う精神が礼の基本であり、その真意は、約束の厳守・秩序の遵守(約束事を必ず守る、掟・法則・規則・法律などを守り従い正しく行動する事)です。

 次に礼法について…

 なお以下の内容は、財団法人 全日本空手道連盟が発刊している「空手道指導の手引」から引用させていただきます。(本書の無断複写、転載を禁じます。の注意書きがなかったもので…)みなさん、今一度自分の動作を確認してみてください。

1.立礼

 ①かかとをつけ、つま先は約60度開き、気をつけの姿勢。肩の力を抜き、手は体側に軽くつける。

 ②相手(前方)を注視してから、上体を前方に約30度前傾する。視線は自然に頭とともに下がる。

 ③一瞬の間その姿勢を保ち、静かにもとの姿勢にもどし、相手(前方)を再び注視する。

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2.座礼

 ①肩の力を抜き、頭をまっすぐにして、相手(前方)を注視する。両手は開手で指先はやや内側に向けて大腿部の付け根に置く。この時、両膝頭の間は拳2つぐらいに開く(女子はやや狭くてもよい)。

 ②正座の姿勢から上体を静かに前に曲げ、両手が内向きになるように両膝頭の前に左手、右手の順に「八」の字に着く。額が両手の上約30㎝のところで静止する。臀部がかかとから離れないようにして背筋を伸ばす。

 ③一瞬の間静止した後、上体を静かに起こし、右手、左手の順に正座の姿勢にもどす。左手から着いて右手からもどすので「左着右離」といわれる。

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3.正座の座り方

 ①かかとをつけ、つま先は約60度開き、気をつけの姿勢。肩の力を抜き、手は体側に軽くつける。

 ②左足を半歩後ろに引き、左膝を曲げて床につける。

 ③右膝も床につけ、立膝の状態となる(両足のつま先は立てる)。

 ④左足の親指に右足の親指を重ねて腰をおろす(正座の姿勢)。

4.正座からの立ち方

 ①正座の姿勢から、腰をあげ両つま先を立て、座るときの動作と反対の順で右膝を立てて立ち上がり、気をつけの姿勢になる。

 ②左膝から座り、右膝から立ち上がるので「左座右起」といわれる。

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 文章の中で、子供達には理解できない、またまだ勉強で習ってない単語が出てきますが、親子で会話をしながら噛み砕いて話したり、辞書サイトで検索したりして、説明をしてあげてください。もっと噛み砕いて書いたらいいのですが、流れ的に難しい事もありますので…すみませんwobbly

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2008年4月19日 (土)

空手道指導理念vol.1

 自分の空手道指導理念

 空手道には強い心が必要であり、大事である。その強い心とは、まず自分に負けない、そして他の人に負けない気持ちである。
 基本練習においてもただ単に回数を行うだけではなく、周りの人に負けない正しい姿勢・正確さ・速さ・力強さを意識して行う。それが強い心を創る第一歩である。強い心を創る過程で人間性が向上する。人間性が向上すると技も向上する。
 しかしながら、優しい環境下ではすべての道場生にその心を養わす事は容易ではない。厳しく指導する事によって意識改革ができ、強い心が養える。その中で、人より優れたものが必ず見つかる。逆に言えば、人は他人より何か優れたものを必ず持ち合わせている。これを引き出せるか否かについては、厳しい環境で強い心を創る指導が必要となってくる。なぜなら優しいだけの環境下では人は育たないし、楽を求めてしまうからである。
 勉学、他の武道・スポーツ、習い事、人をまとめる等、何事においても、ただそれを何も意識せずに行うだけではなく、人に負けないという意識も必要である。その意識を持つには自分に負けない強い心が必要である。その強い心を持つ事により必ず他の人にはなく自分だけの何か秀でたものが現れてくる。
 空手道を指導しているので、自分の道場ではもちろん、自分の道場以外の場でも、道場生には厳しい環境下で空手道を通じて人間性を向上させ、強い心で誰よりも優れた成績を目指してほしい。成績が伸びると、厳しくても空手道が楽しくなる。そして、一生涯空手道を続けてほしい。
 しかし、他の道もある。今は空手道を含めいろんな道において、周りの人に負けないという意識を持つために、また自分に負けない強い心で物事が実行できるように、そして人よりも秀でたものを見つけられるように、空手道を通じて礼節を学び、強い心を創る修練をしている日々であることを念頭においておく。
 自分は、その修練の道を指導していく。

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